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夕雨の先輩後輩

「佐ヶ浦先輩、入っていってください」

薄暗く閑散とした校舎入口、愛しい後輩の手で掲げられた傘を見て、僕は立ち尽くしていた。下校のピークが過ぎ、普段よりは早く終えられた生徒会で晴れ晴れとしていたのだが…。外はあいにくの雨だった。いや、とか、ううん、とか迷った顔をしている僕に向かって、催促するハル君は、いつもより強めの口調だった。

「ダメです!絶対入ってください」

ムッとした眉を曲げたハル君は、遠く、校門の先の方を見つめた。

「次期生徒会役員候補に推薦されなければ、オレだけ濡れて帰ったってよかったんですけど……」
(選挙習慣の立て札やポスターが掲示されている)
「そうでなくとも、君が風邪を引いたら大事だ」

「そう言うと思いました。なので!」

彼に無理矢理に傘を押し付けられ。

「我慢してください」

柄を握った上から手を握ってきた。僕の手が収まり切らないほどに小さな手だったが、握ってくる手の力は強かった。

「っ。ハルく…」

歩き出してしまったので、仕方がない。雨で濡らさないよう傘を彼の方へと傾け、足を揃えて校門へと向かう。ハル君は、意を決したような顔で正面を見据えている。

(ああ、この校門を過ぎたら…。)
(意識が…飛んで………。)
(今日という1日が、過ぎ去ってしまう…。)

途端にぼやけてきた脳内に、胸打つ心臓の音が、響いて聞こえてきそうだった。
校門を通り抜けた。




夢見心地だった。
途中重い雲の隙間からうっすらと陽が差してきて、水滴が反射した世界はキラキラと輝いて見えた。1つの傘の下、無言で歩く男子生徒二人。歩道橋があるほどに車の行き交いが激しい大通りを右折し、静かな住宅街へと入っていったところだった。

「さっきの話の続き。してもいいですか」
「…」
「その、生徒会役員選挙に推薦されてしまって……あ、べつに生徒会が嫌ってわけじゃないです。推薦されたわけですし、ちゃんとやりますけど」
「?」
「推薦してくれた友達がオレの推薦者として、応援演説を読み上げるんですけど、それが…」
「読んでみて、オレってそんな人間なのかなあ……って思っちゃったんです。自分の事、しかもいいことを言われているはずなのに、どこか他人のようというか、オレっていう外側のいいとこだけ持ち上げられてるというか、宙に浮かされているような気分になっちゃって…」
「先輩、お願いです。正直に言ってください。オレをっ……。…清水涼春を、どんな人間だと思っていましたか?」
「……」

眠気に襲われているかのような、ぼやけた頭で返答した。

「希望の光だよ」

「光…」
「決して届かないけれど、広く多くの人々の心に希望を抱かせる、唯一の存在だ」
「先輩のそういう、比喩表現というか…ロマンチックな言葉遣い、初めて聞きました」
「…そうかい?」

少しずつ、光が差し込んでくる。

「えっと。もっとこう…現実的な目標を掲げる人だと思ってたんですけど……」
「『真面目で優しく、皆の期待を背負って責務を全う出来る生徒会役員になるだろう。』…なんて、普遍的な誉め言葉のほうが良かったかな?」
「うう……。友達の応援演説が、まさにそういう感じで……」
「それでは、プレッシャーばかりかかるだろうね」

肩まで下げて、気だるそうな、しょげた様子で答えた。

「ああ~。先輩に言ってもらいたかったなあ……」
「すまない。会長だから直接手伝えなくて」
「謝っても仕方がないでしょう、先輩。そもそも、先輩が会長やってなかったら、オレ、引き受けようとすら思いませんもん」
「…そうだね」

火照りを感じる。
顔を向けて、名前を呼んだ。

「…ハル君。上下関係があるとはいえ、ここは校外だ。敬語は抜きに、名前で呼んでくれないかい」
「えっ」

彼は、驚きの声をあげて立ち止まった。もう傘はいらないのだが、もう片方の手で彼の手をしっかりと覆い、顔を近づけた。

「お願いを聞いたお礼」
「……そ、そんな急に…言われても…ですよ……?」
「同学年の友達と話すときのように。出来るだろう?」

一間置いて、彼はため息をついた。

「はああ……しょうがないなあ先輩は。分かりました。あ、うん。分かった」
「……」
「…佐ヶ浦、て、名字でもいいん、だよな?」
「……」
「何をにやけている、んだ?様子が変だよ先輩」
「…」
「ああうん…佐ヶ浦……。先輩を先輩って呼べないのがものすごくくすぐったい……」

「上下関係、気にしなくていいんだよな?…すこしかがんで」

手招きしながらそう囁かれる。僕はよく分かっていない様子で背中をかがめた。

すかさず伸ばされた両手で僕の頬を覆って……。ほんのすこし傘が傾いて、二人の上半身を隠した。

傘が落ちて地に当たり、跳ねたとき。
世界は、真っ白に包まれていた。




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2019-12-21